レテニェ-ドゥブロヴニク 280kmの旅
叔父とのドライブで初めてハンガリーまで辿り着けたものの、タイヤを交換出来るほどのお金はなく、そのままレテニェからクロアチアの都市「ドゥブロヴニク」を目指します。天候は雨で最悪ですが走行ルートの距離は300km未満なので、パンクしたタイヤ1本があっても何とかなるかな?
今回のクロアチアはタバコが禁輸品。初めて検問でのトランクの検査を受けましたが、幸い禁輸品にあたるモノは入れていなかったので、問題無く通過出来ました。それにしても窓が汚い。
道は右カーブなのにハンドルは左へ?
雨の中で走っていたので、窓に付いた汚れは流れ落ちて視界は良くなりましたが旅の視界は未だ晴れません。パンクしたタイヤで相変わらずアドリア海を横目に走り続けています。空飛ぶ豚でもこの空は飛んでいないかな?
ひたすらパンクしたタイヤからのペタペタという音と雨音が鳴る中、パン!という破裂音が何度か鳴りました。聞き覚えのある音だったので、残っていたタイヤが次々に寿命を使い切ってパンクし始めたようです。雨が降って滑りやすい路面とはいえ、ハンドルを左右に切ればお尻も滑る様子から察するに、全輪ともパンクしたようです。
まともに運転が出来ない状態でも道中に落ちている荷物は回収。街まで持っていったら少しはお金になるはず。次の街でせめてタイヤの1本か2本くらいを交換出来れば楽なのに、宿泊代を捻出出来る程度でしょうね。
なんだかんだで目的地には到着
曲がる度にカウンターステアを当てながら走り続けて18時半を回った頃に目的地の「ドゥブロヴニク」に到着。タイヤはボロボロで満身創痍のライカ601。それでもタイヤ以外はまだ大丈夫な感じで燃料は半分、エンジンルームからの煙は微弱とタイヤさえ何とかなればまだまだ走られそう。
4輪ともパンクしたライカ601です。予想通り道中で拾った物資程度ではタイヤは購入出来なかったので、このまま次の国へ入国することになりそうです。
何もしない叔父は相変わらず寝入りが良い
1泊30マルクはノーマルタイヤ1本と同額。宿泊代を捻出するために今日もタイヤは交換出来ず。四苦八苦しながら街から街へと走っているのにも関わらず、叔父は宿泊代を払えば先に行き、鍵を開ければさっさとベッドへ向かってそのまま就寝。良い身分だこと。
寝た途端にトランクが開いたので書類を盗み見してみると、封筒の消印は1977年6月21日。手紙の差出人は61年に届いた書類と同じ人のようで、前の書類から16年も経っています。差出人とHassanは西側諸国の何処かに居て、叔父であるルトフィを東ドイツから助け出す方法が書かれているようですね。その方法の肝心な部分は黒く塗りつぶされているので、叔父が覚えた後に潰したようですが1990年になっても叔父は東ドイツに居たので失敗したのかもしれません。
東ドイツ・チェコスロバキア・ハンガリー・ユーゴスラビアと4ヵ国を走り続けてきたこのドライブはまだ続けられるのか。この続きはまた後ほど。
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