叔父とのドライブもトルコを残すのみ!
ブルガリアは未舗装の道だったのでオフロードタイヤを履いてきましたが、トルコへの道は舗装された道のようだったので、入国後にタイヤを履き替えることにしました。
ライカ601の性能やお財布の事情から、ここまで問題なく来られると思っていましたが、無事にイスタンブールへの道を走っています。叔父は本当に何もせずにただただ助手席に座っているだけでしたね。
車を手に入れたことは忘れても昔のことは覚えてた
トルコに入国出来た事で色々なことを思い出したのでしょうか。若い頃を懐かしんでいますが、その頃は自由を謳歌出来るような時代ではなかったようですね。
叔父がベルリンの孤児院を拠点にという意味がよく分かりませんが、主人公の出自と関係はあるのかもしれません。
約束というのは何度か盗み見た手紙の差出人と交わしたのでしょうか。この言い方だと約束をした頃のベルリンと、ベルリンの孤児院へ拠点を移したときでは状況が変わってしまったようですね。
ベルリンの壁が出来た頃、主人公は赤ん坊
ベルリンの壁が出来たのは1961年、主人公は当時赤ん坊だったということはドライブをしている1990年だと30歳前後、そこそこ大人でしたね。
東欧に仕事で出たら壁が出来てしまって西側に戻られなくなり、壁が崩壊した今になってようやく西側へ行くことが出来たようです。出来た当初からということは約30年も東側に閉じこめられていたことになりますね。
無事にイスタンブールへ
イスタンブールまでの高速道路を走り続け、ファーティフ・スルタン・メフメト橋かボスポラス大橋のどちらかを渡っています。東ドイツ・チェコスロバキア・ハンガリー・クロアチア・ブルガリアと5ヵ国を走り切り、間もなく6ヵ国目も走破出来そうな主人公と叔父を祝福しているかのような電飾された橋ですね。
無事にイスタンブールに到着し、いつも通りモーテルに立ち寄って宿泊代を払い眠りにつきました。今晩は何故か叔父は眠りにつかず、こちらが先に寝てしまいました。
そして誰もいなくなった
翌朝目覚めると叔父の姿はなく、いつも座っていた助手席には肌身離さず持っていたトランクが置かれていました。開いていたトランクの書類を見てみると…何故か前日のものと同じでした。これはいったいどういうことでしょうか?
イスタンブールに辿り着いた後、何度かベルリンから再びドライブしたものの叔父はおらず、何もしなかったを叔父は本当に何もせずに居なくなりました。代わりにずっと開いたままのトランクが置かれています。
3回目のドライブで無事に叔父と共にトルコへ辿り着くことが出来ました。イスタンブールに着いたら叔父は居なくなったので、共に向かったというよりかは、送り届けたというほうが正しいのかもしれませんね。イスタンブールへ到着したことで当初の目的は果たしました。これからは1人ドライブで気ままにベルリンからトルコまでの道を走っていきたいと思います。
これを書いた後に再びトルコまで走ってきたら最後の手紙を見ることができました。そしてホームに戻ったら、セーブデータが壊れて拠点のストレージが綺麗さっぱりと消えてしまった。うーん相変わらずのバグには困りますね。
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